はじめに
Kindle Unlimited で見つけたオススメの本をご紹介させていただきます。
ブッダの気持ち
著者の独自の解釈でブッダ(シッダルダ)の気持ちを読み解いた一冊です。もしも自分自身がブッダだったら、きっとこんな気持ちになっていたのではないか、というような語りかけが、ボクにとってはとても新鮮で、「わかるわぁ〜」と共感しやすかったのがとてもよかったと感じました。
堅苦しくない
ブッダは神格化?伝説?になっているため、あるいはその教えやエピソードになんらかの効力?をもたせたいのか、むずかしい言葉や、わかりにくい表現で記載されたり、説明されたりすることが多いように感じます。そういう意味ではこちらの本は異色のブッダ本なのかもしれません。
概要
著者:藤田 一照
書名:ブッダが教える愉快な生き方
発行:NHK出版
発売:2019年06月25日
もくじ
はじめに──「学びのきほん」を仏教に学ぶ
第1章 ブッダの「学び」とは
第2章 学ぶことは変わること
第3章 頑張らない坐禅
第4章 愉快に生きるためのヒント
おわりに── 自分なりの学びを実行しよう
ブッダ・仏教の学び方を知るためのブックガイド
学ぶ姿勢の大切さ
本書では、「学ぶこと」の大切さを、学ぶ姿勢であることの尊さについて、語りかけてくれます。ボク自身、2024年は学びの場を作りたいと思っていたので、とても共感できました。
ボク自身、講演の講師をしたり、コンサルタントをしていますが、そもそも本人に学ぶ意思がないと、学びは発生しません。まぁ、目的は人それぞれなので強要するのはおこがましい気がしないでもないですが、そもそもの「学ぶ」という心構え、態度、姿勢、向き合い方、が整っていないと、薄っぺらい人生になり、浅はかで、軽蔑される人間に成るのではないかと思います。
その根っこの部分について、事例紹介し、ご自身の経験や、ブッダのエピソード、ブッダの気持ち、時代背景、なども考慮し、語りかけてくれる一冊だと思います。
おわりに
それほどページ数の多い本でもないので、ぜひ読んで欲しいです。
おすすめの一節
これに匹敵するような「私にとっての四門出遊体験」がないと、仏教に「教え」として出会うことは難しいでしょう。それなしには、仏教は、「私に向かって語りかけてくる教え」ではなく、「昔の誰かが語ったお話」に見えるからです。
この「うんざり」という感受性はとても重要です。城の外へ出てみたのも、そういう背景があったのでしょう。もっと広くて新しい世界に出て、人間の苦しみを解消する方法を知りたい。人生の真理を学びたい。そんな新しい学びへの思いが募り募って、ついに門の外の世界へと飛び出しました。二九歳のときのことです。
悪魔の執拗な妨害を乗り越えて覚りを開いたあとも、悪魔は繰り返しブッダの前に現れます。それは、ブッダが「悪魔と出会わない超人」ではなく「悪魔ときちんと出会える人間」だったからです。
悪魔というのは、人間を道から踏み外させる衝動、いわゆる煩悩のことです。それを「悪魔」と神話的に表現しているのです。
人間であれば、誰でも自分の中に悪魔がいます。ブッダも同じです。しかし、「目覚めた人」でない私たちは、そのことに気づけません。気づかずに悪魔に操られているので、悪魔と「出会う」ことすらできないのです。樹下に打坐するまでは、ブッダも内なる悪魔と「出会う」ことはできませんでした。
覚りを開いてからも、まだ悪魔がついてきているということは、ブッダの修行はまだ続いているのです。むしろ、覚ってから本当の修行が始まり、生きることすべてが修行になり、オーガニックな「学び」が続いていく。つまり、ブッダがより円熟したブッダになっていくということを、彼の人生がよく示してくれていると思うのです。
たとえば、自転車に乗れるようになったら、かつての「自転車に乗れなかった自分」には戻れませんよね。乗れないフリはできますが、本当に乗れない状態には戻れません。なぜかというと、「私」そのものが変わってしまったからです。
吾我はたとえて言えば、硬い殻で包まれたクルミのように、自と他の間に強固な防護壁を張り巡らせて内に閉じたあり方をしています。すべてが変わっていく世界の中で、この防護壁の内側だけは影響を被らないように自分を死守しようと固く身構えているのです。 このような状態では、その人の中には何も染み込んでいきませんから、学びは起こりません。前にも述べたように、学ぶということは変わるということだからです。もちろん、いつもおびえた状態にいるので愉快に生きる余地などありません。